いたずら文学紀貫之子が認めまする

つらつらと書きづつけます

ベルリンの壁は東西ドイツの国境で分断されていた訳ではありません!

皆様がなさるブログというものを青年である私もやってみようと言うので、します。

突然ですが、皆さんベルリンの壁というものをご存知でしょうか。

ソビエト社会主義共和国連邦、通称ソ連という国が存在してアメリカと東西冷戦をやり合っていた真っ只中の20世紀。

その壁は1989年11月9日に崩壊。

東西冷戦の象徴であったその壁が崩壊と言う世紀の大ニュースは、ネットがなかった時代であっても瞬く間に世界を駆け巡りました。

それはもォ、ヤヴァかったんですよ。ヤバすぎ。

その前に物理的な壁があって同じ民族同士の、人の往来を遮っていただなんて。

ぶっ飛んだ発想ですよね。

もし戦国時代の名武将が生き永らえていたら、こんな会話が繰り広げられたのではと妄想してしまうのでございます。

ねえねえヤスぅ~。

なあに、ノブ?

ベルリンってドイツの首都でさあ、ここにあるんでしょ? ベルリンの位置

御意だよん。

だったらさあ~ベルリンの壁で東西ドイツが分断してたらこう言う感じじゃん? 東西ドイツ(空想)

そうなの?

狭くね? 東ドイツ?

だってさ、ヒデ?

気持ちは分からんでもないけど、そういうんではない!

その事でございます。

実は、ベルリンの壁は東西ドイツの国境に建てられたのではなく、文字通りベルリン市に建てられたのです。

詳細はこの様な感じでございます。

4分割の市街

五等分の花嫁が映画化発表と至ったのは記憶に新しいですが。

itazurabungaku.online

Stefan-Xp - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=877731による

Stefan-Xp - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=877731による

冷戦下のベルリンは上記のように4分割されていたのです。

それぞれのエリアが各国、第二次大戦勝利国によってベルリン領土は管理されることになったのです。

で、アメリカ・イギリス・フランスの領土があわせて西ドイツ領、西ベルリンになったんですね。

ソ連管轄のエリアが東ベルリンとなり、東ドイツ領となったのです。

ベルリン封鎖

ベルリンは東西冷戦の舞台となってしまったのです。

東西ドイツ国境――TUBS - File:Germany, Federal Republic of location map January 1957 - October 1990.svg, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19639006による

東西ドイツ国境――TUBS - File:Germany, Federal Republic of location map January 1957 - October 1990.svg, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19639006による

ご覧の通りベルリンは東ドイツのなかにあります。

赤く色塗られたところが西ベルリンで、ソ連側にしてみれば西ベルリンへの鉄道や道路を封鎖することは容易にできました。

それにより物資が西ベルリンに届かなくなり、200万人を超える西ベルリン市民の運命が冷戦によって揺さぶられる緊急事態になりました。

ただし、諸事情から空路はソ連も封鎖しませんでした。

となれば切り札は?

ベルリン大空輸

そうなんですよ。

飛行機で空輸すればいいと。

しかし200万人への物資の供給ですよ?

そんなことが出来るのと。

ソ連が空路を封鎖していなかった理由のひとつと言えましょう。

そこでアメリカやイギリスを中心とする西側諸国が西ベルリンのテンペルホーフ空港に輸送し、空輸作戦が行われたのです。

約1年近くにも渡る攻防が続きました。

延べ27万7728回に渡る輸送機を出動。

食料はもちろん生活物資や燃料に困窮した 西ベルリン市民に空輸を続けました。

最盛期には1分に1機が着陸したというまさに空輸大作戦。

朝のラッシュ時の山手線も真っ青です。(調べましたが、3分間隔ですね)

過酷な作戦には犠牲がつきまとい、100人ほどの命が失われたようですが、この作戦は成功裏に終わり、ソ連は封鎖を解除しました。

ただしその間に東と西でそれぞれ独立した議会が出来上がり、ドイツは東西に分断する道へと歩み始めます。

西へ向かうぞ

今でこそ中国の躍進で想像が難しいと思いますが、社会主義国は経済が停滞することで有名だったんですよ。

東西に分断したベルリンでしたが、当初は特に支障もなく行き来出来たのです。 

前述のマップで図示されていたように、ベルリンそのものは東ドイツにあります。

東ドイツ内であっても西ベルリンに逃げ込めば、あとは道路や鉄道を移動して西ドイツへ移動が可能だったんです。

次から次へと東ドイツ国民が西ドイツへと西ベルリン経由で逃げていきます。

流石に人口が減ってヤバいと当局も考えたんですね。

それでどうしたと思いますか?

壁を作った

それで作ったのがベルリンの壁なんですよ。

東西ドイツの境界ではなく、西ベルリンを東ドイツ敷地内でくるっと一回り囲ったやつ。

要するに、東ドイツ国民が西ドイツに逃げないようにするための物理的バリアだったんですね。

トランプ大統領が米墨国境に壁を作る! とか言って話題になりましたけど、すでにベルリンで実践済みだったわけで、それと同規模のものをつくるなら同様の効果が波及していたかと思われます。

ベルリンの壁、作ってみた。

ベルリンの壁、作ってみた。

まあ、こんな感じでかなり大規模ですよね。

ヤバいベルリンの壁

ヤバいベルリンの壁

一例としてこんな感じの構造をしていたようです。

監視塔があって、壁を乗り越えようとする東ドイツ国民を容赦なく処刑していたようです。

アラーム付きの金網の柵、有刺鉄線や障害物、深い堀と言ったもので、サスケも顔負けの、乗り越えるにはあまりに過酷な「壁」だったようです。

 

間違えました

命を賭して壁を越えようとする東ドイツ国民が後を絶えませんでした。

壁を越えようとすると監視官によって射殺されたり、過酷な壁の障害物などのよって命を失うので、比喩ではなく文字通り命がけでした。

しかし前述の通り壁は絶望的に逃亡者の眼前に立ちはだかります。

ベルリンの壁は東西冷戦の象徴であるとともに難攻不落の要塞、超えられない壁の象徴としても捉えられるようになりました。

その壁がなぜ崩壊したのか。

まずは時代が進むと東ドイツから外国への旅行が普及し始めました。

すると、東ドイツから西ドイツへ直接ではなく、何カ国か経由するとたどり着けるライフハックが発見されます。

一例としてハンガリーに居た東ドイツ人はオーストリアとの国境を超えて西ドイツに入国できたなど、その様な事例が公になると、それを真似る東ドイツ人が増えはじめました。

こんな感じでどんどん逃げ出すので当局も手を焼きました。

そのため外国への旅行の自由化の政令が決議されると、ギュンター・シャボフスキー氏が記者団に向けて「11月10日からの旅行許可に関する出国規制緩和」だったのを「ベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と誤って発表してしまったのです。

びっくり仰天のニュースなので記者も「いつから?」と尋ねるとシャボフスキー氏は「直ちに、延滞なく」と応えました。

これは氏の勘違いだったという見解が多いのですけど、結果オーライです。

お陰でもう大衆は壁をぶち壊して自由に西側へと歩いていきます。

これが東西ドイツが統一する大きなきっかけとなったのでした。

影響を受けた漫画

この東西冷戦の世界観をフィクション化したのがSpy×Familyです。

以上に述べた東西ドイツの流れを一通り理解した上で読み進めると面白さが倍増するので大変オススメです。

まだある

東西ドイツが統一、冷戦も終わってめでたし…と思ったら。

まだ実は南北に分断している国があることを私達は忘れてはいけないでしょう。

こちらは東西ドイツと比べると、38度線で完全に分断されています。

その38度線にある板門店パンムンジョムから、ソウルはわずか50キロほどしか離れていません。

万が一戦争が起きたら多くの犠牲者が出てしまうことでしょう。

なお南北朝鮮の関係は現在はあくまで「休戦中」なのです。

実は戦時中であることには変わりないのです。

まとめ

しかし人類は数々の犠牲を抱えながらも東西統一、冷戦終結と言う望ましい形で20世紀を終えることが出来ました。

日本も敗戦国なので、ドイツや朝鮮のように分断していたリスクがあったのです。

そう言う意味では分断されなくて本当に良かったですよね。

南北問題も人類の英知で解決すると筆者は信じております。

このエントリはこの辺にてけりを付けとうござりまする。